二宮 和也(にのみや かずなり、男性、1983年6月17日 - )は、日本の歌手、タレント、俳優であり、男性アイドルグループ嵐のメンバー。東京都葛飾区出身。ジャニーズ事務所所属。立志舎高等学校卒業。「ニノ」の愛称で親しまれる。他にも、「にのみぃ」「和」「和くん」などと呼ばれている。なお、読み方は「かずや」ではなく「かずなり」である。
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1 概要
1.1 人物
1.2 趣味・嗜好
1.3 家族
1.4 嵐
1.5 受賞歴
1.6 参加ユニット
2 作詞・作曲
3 出演
3.1 テレビドラマ
3.2 映画
3.3 劇場版アニメ
3.4 舞台
3.5 バラエティ
3.6 ラジオ
3.7 CM
3.8 イベント
3.9 書籍
4 関連項目
5 脚注
概要 [編集]
1996年6月19日(当時中学1年生)にジャニーズ事務所に入所。小学生のころ、いとこが「写真を撮らせて」と言い、勝手に履歴書を送ったのがきっかけ。本人は書類審査合格の報を聞いても面倒くさがってオーディションに行きたがらなかったが、母親に「5000円あげるから行ってきなさい」と言われ参加し、見事合格した。 1999年(当時16歳)に嵐のメンバーに選ばれ「A・RA・SHI」でCDデビュー。
個人では主に、嵐結成前からテレビドラマ、映画などで活躍。『硫黄島からの手紙』では監督のクリント・イーストウッドからその演技を絶賛され、アメリカでも高い評価を受けた[1]。
血液型はA型。身長は168cm、体重は52kg、足のサイズは26.5cm。視力は両目とも0.6。 (ジャニーズJr.の風間俊介、A.B.C-Zの五関晃一と血液型・誕生日が一緒である。)
人物 [編集]
元は左利きで矯正したため、ギターを弾く時とはさみを持つ手、そして字を書くときなどは右手。また、野球では左投げ右打ちのフォーム。
メンバーから「嵐の中でいちばん子供っぽい」と言われる一方で、「嵐でいちばん繊細なのはニノ。いつも難しいことばかり考えてる」(櫻井談)「彼(ニノ)は、ホントに繊細な性格してますね。多分、弱いところとか悩みとかを絶対に外に出さないタイプです。」(相葉談)と評される一面がある。
ジャニーズJr.時代に先輩であるKinKi Kidsのコンサートでバックダンサーを務めた際に左手の甲の骨を複雑骨折している。そのため後遺症で左手の握力が非常に弱く、コンサート中はマイクを持ち変えるしぐさを頻繁にする。
手が小さく指一本一本が短いため、メンバー(特に大野、櫻井)には「ハンバーグみたいで可愛い手」と気に入られているが、本人自身は指が短い事をコンプレックスに思っている。
酷い猫背で、矯正を強要されたこともあるが治らなかった。(母親が猫背矯正ベルトを買ってきたが結局使わなかった。また、猫背を治すために背中に入れた定規を折ったことがある。)しかし、後に演出家の蜷川幸雄から「背中に哀愁があっていい」と言われ、初めて自分の猫背を褒められ喜んだ、というエピソードがある。
船酔いをしやすい体質で、ハワイでのデビュー会見の際のクルーザー、『嵐の技ありッ!』での屋形船、『ウルトラストロングゲーム』での海ゲームでの待機船、『まごまご嵐』のボート部企画や鳥人間企画、『驚きの嵐!世紀の実験 学者も予測不可能SP』での紙の船、『ひみつのアラシちゃん!』での幻魚採取の漁の際など、乗船において必ずと言っていいほど船酔いをしている。
普通自動車免許のほかに、『ひみつのアラシちゃん!』内の企画で取得したチャイルドマインダーの資格を持っている。
長く学生の役をやっていたことから「永遠の17歳」と呼ばれていた。
フォトグラフィックメモリーがあり「台本は大抵、一度読んだら覚えてしまう」そうで、現場で彼が台本を開いている姿をほとんど見たことがないと、多数の共演者や関係者が語っている。
趣味・嗜好 [編集]
好きな食べ物は「安い食べ物」。もんじゃ焼き、お好み焼き、ハンバーグ、ミルクパン、クリームソーダ、オムライス、ナスの漬物、ギョウザなどを挙げている。脂身・椎茸・八宝菜が苦手。また、こんにゃくが嫌いだったが、「刺身こんにゃく」は好きで、わざわざ取り寄せている[2]。
小学校4年生から中学校1年生までの4年間、地元の野球チームに所属し、ファーストを守っていた。小学校6年生(1995年)の時に地区大会で優勝した経験がある。また、1999年4月3日、西武ドームで行われた開幕戦西武ライオンズ対福岡ダイエーホークスの始球式で関ジャニ∞の渋谷すばるとバッテリーを組んだ。好きな選手は元読売ジャイアンツの原辰徳(現・監督)。現在は嵐のメンバー相葉がオーナーを務める野球チーム「カラーズ」に参加している。
自他共に認めるゲーマーであり、常にゲーム機を持ち歩いている。主にRPG全般を得意としている。また、番組で調査した合わせてアキバ系男女2名に共通していた生徒会役員・部長なども経験していることから自らのことを「アキバ系だった」と語っていた[3]。またマリオファンでもあり、WiiのマリオシリーズのCMに最多出演をしている。
カードマジックを趣味としており、日常生活のほか、様々な番組でも披露しており、マジックの営業を行うこともある。ドラマの共演者などにも披露している。
芸能界に入る前から竹内結子のファン。1996年に竹内が堂本光一と共演したドラマ「木曜の怪談『サイボーグ』」を観て以来の大ファンで、以前「関口宏の東京フレンドパークII」に二宮が出演した際、竹内結子の出演作ドラマを5つ答えろとの質問に、TBS制作のドラマだけで5つすらすら答えたほどである。
家族 [編集]
家族構成は父、母、2歳年上の姉の4人家族。父と母は共に調理師免許を持っており、また両親ともにかつて服部栄養専門学校の教師を務めていた。そのため、家庭料理には不満が無いと、出演した「愛のエプロン3」で発言している。ちなみに姉とメンバーの櫻井翔は同い年。
ペットはフレンチブルドッグのブー、ミニチュアダックスフンドの二匹を飼っている。柴犬のはるを飼っていたが、2009年11月11日に永眠[4]。
嵐 [編集]
元々ジャニーズとしてのデビューへの意欲が低かった。理由としてはデビュー前からドラマに出演しており、そこから出演よりも裏方の方に興味を持ち始め、単身アメリカ留学し演劇を勉強しようとしていた。その矢先にデビューが決定し図らずもハワイでデビュー会見を行った。
自称「嵐で一番の嵐ファン」。「嵐がいれば友達はいらない」「本当に、このメンバーに巡り会えて良かった」と言うほどメンバーを信頼している。「嵐は4人で、自分は1番嵐に近いファン」と言っていたこともある。
歌では主に高音と合いの手を担当しており、コンサートでは曲中の自身のソロパートで観客にマイクを向けて歌わせたり、煽っていることも多いが、ピアノやギターを自ら弾き歌うことも多い。
大野智とはコンビユニット『大宮SK』を組んでいた。松本潤のことを一般的な愛称である「松潤」と呼ばず、メンバー内で唯一「潤クン」と呼ぶ。相葉雅紀とは家の方面が同じだったため一緒に帰ったりジャニーズJr.の頃からコンビを組むなど一緒にいることが多く付き合いは長い。 櫻井翔によく突っ込みをいれている。また、本人も「ニノがいじられのキャラをつくってくれた」と発言している。
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