2011年1月10日月曜日

第2代シェルバーン伯ウィリアム・ペティ

初代ランズダウン侯、第2代シェルバーン伯ウイリアム・ペティ=フィッツモーリス(William Petty-Fitzmaurice, 1st Marquess of Lansdowne and 2nd Earl of Shelburne、1737年5月2日 - 1805年5月7日)はホイッグ党政治家、イギリス首相(在任:1782年 - 1783年)。
大ピットの盟友であり、シェルバーン内閣(1782-83)では小ピットが蔵相であった。アメリカ独立戦争を終結させた条約の一つであるパリ条約の交渉に当たった。シェルバーン内閣に対抗するノースとフォックスの連立が、1783年の辞任につながった。ポートランド公を名目上の首相としたこのノース・フォックス連立政権は短命であり、1783年12月に小ピット内閣が成立した。
この時シェルバーンは閣僚に加わらず、1784年にランズダウン侯爵の爵位を与えられた。これ以降もシェルバーンはピット政権を支持したが、政治の表舞台には姿を現さなくなる。
党政治から超然としていたため傲慢だといわれることもあるが、概して啓発的な意見の持ち主だった。例えば、カトリックの解放や自由貿易、議会改革や経済改革を提唱している。とくに小ピットの財政政策には、シェルバーン伯の影響が見られる。
文学や絵画・彫刻などに理解があり、晩年には芸術の保護に力を入れた。

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